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和歌山地方裁判所 昭和33年(わ)226号 判決 1963年10月25日

判決目次

一、前文

一、主文

一、理由

甲、事実関係

第一、戦後における教育改革の概要

第二、勤務評定(以下勤評と略称)制度実施の経過

第三、和歌山県教職員組合(以下教組と略称)の組織および和教組の勤評反対闘争の経過

一、和教組の組織

二、和教組の勤評反対闘争の経過

(一) 昭和三三年三月末までにおける和教組の勤評反対闘争の経過

(二) 昭和三三年四月一日より六月三日直前までにおける和教組の勤評反対闘争の経過

第四、罪となるべき事実

乙、証拠関係

第一、証拠の標目

第二、被告人田辺孝夫が本件共謀の行なわれた昭和三三年六月三日の闘争委員会に出席していたことについての証拠説明丙、弁護人らの主張に対する判断

第一、勤評は教育に対する不当な支配であるとの主張について

一、教育の本質

二、義務教育における偏向教育の禁止

三、我が国教育の実状と勤評制度実施の意義

第二、本件一斉休暇は地方公務員法第三七条第一項前段にいわゆる同盟罷業に該当しない旨の主張について

一、(一) 本件一斉休暇がいわゆる同盟罷業の概念に該当するかについて

(二) 本件一斉休暇は形成権である年次有給休暇請求権の行使であるから同盟罷業に該当しない旨の主張について

(三) 措置要求権の行使と同盟罷業との関係

二、本件一斉休暇が争議行為であるとしても、地方公共団体が代表する使用者としての住民のため行なわれたものであるから、地方公務員法第三七条第一項前段にいわゆる同盟罷業に該当しない旨の主張について

第三、本件休暇斗争指令の伝達は地方公務員法第六一条第四号のあおり行為に該当しない旨の主張について

一、本件休暇斗争指令の伝達は、機関の決定を組合員に通知したものにすぎないからあおり行為に該当しない旨の主張について

二、指令に拘束力がある限り、その伝達行為は刺激を与えるとはいえないから、あおり行為に該当しない旨の主張について

三、本件指令伝達行為は争議行為参加の一態様にすぎず、争議行為そのものであるから、あおり行為に該当しない旨の主張について

第四、地方公務員法第三七条第一項、第六一条第四号は憲法第二八条に違反する旨の主張について

一、地方公務員法第三七条第一項は憲法第二八条に違反する旨の主張について

二、地方公務員法第六一条第四号は憲法第二八条に違反する旨の主張について

第五、地方公務法第六一条第四号は憲法第一八条に違反する旨の主張について

第六、地方公務員法第六一条第四号は憲法第三一条に違反する旨の主張について

一、地方公務員法第六一条第四号の構成要件が不明確である旨の主張について

二、地方公務員法第六一条第四号の内容が刑罰法規として憲法上ならびに刑法の原則に違背し不合理であるとの主張について

第七、本件一斉休暇は正当行為である旨の主張について

丁、弁護人の公訴棄却申立に対する判断

戍、法令の適用および情状

己、無罪判断

判   決

本籍

和歌山県海草郡下津町大字引尾六七番地

住居

和歌山市久右衛門町入山アパート九号室

教員

岩尾覚

外十三名

主文

被告人岩尾覚、同北条力を各懲役六月に、

被告人滝本松寿、同西浦利也、同田淵史郎、同岡本佳雄、同石原笹枝を各懲役四月に、

被告人中山豊、同平尾利彦、同田辺孝夫、同中島昭、同坂本昇、同平岡繁雄を各罰金三万円に処する。

但し、被告人岩尾覚、同北条力、同滝本松寿、同西浦利也、同田淵史郎、同岡本佳雄、同石原笹枝に対し、いずれもこの裁判確定の日から二年間右各刑の執行を猶予する。

被告人中山豊、同平尾利彦、同田辺孝夫、同中島昭、同坂本昇、同平岡繁雄において、右罰金を完納することができないときは、金五〇〇円を一日に換算した期間、その被告人を労役場に留置する。

訴訟費用は、被告人岩尾覚、同北条力、同滝本松寿、同西浦利也、同田淵史郎、同岡本佳雄、同石原笹枝、同中山豊、同平尾利彦、同田辺孝夫、同中島昭、同坂本昇、同平岡繁雄の連帯負担とする。

被告人惣坊恵は無罪。

理由

甲、事実関係

第一、戦後における教育改革の概要(省略)

第二、勤評制度実施の経過(省略)

第三、和教組の組織および和教組の勤評反対闘争の経過

一、和教組の組織(省略)

第四、罪となるべき事実(要旨)

被告人岩尾覚は和教組執行委員長、被告人北条力は同書記長、被告人滝本松寿は同書記次長、被告人西浦、同田淵、同岡本、同石原(以上は常任執行委員)、同中山、同平尾、同田辺、同中島、同坂本、同平岡は、いずれも和教組執行委員であるが、相被告人浜本収(執行委員、判決言渡の際病欠のため分離)らとともに勤務評定の実施を阻止せんがため、

一斉休暇闘争を目標に第一波ないし第五波闘争の闘争方針案を企画して、機関の決定を経、組合員の意思統一と称して説得、指導をくり返し、和歌組組合員をして一斉休暇闘争への雰囲気を作り上げて来たものなるところ、同年六月三日午前一〇時頃から和歌山市真砂町所在の県教育会館会議室において開催された拡大闘争委員会に出席し、被告人北条において情勢報告中、午前一一時一〇分頃、県教委が勤評規則を制定した旨の情報に接したので、議長において休憩を宣し、被告人一三名および相被告人浜本収は、急遽、同会館二階小会議室において和歌組闘争委員会を開き、同年六月五日に一斉一〇割休暇闘争、六日、七日の両日子弟の登校拒否戦術をとる、実施の細部は執行部に一任する、との執行部案を満場一致で決定し、ここに、和歌組傘下組合員である市町村立小、中学校教職員をして、年次有給休暇に名をかり、校長の承認がなくとも、なお、就業を放棄して、同盟罷業を行なわしめるため、これを煽動することを共謀のうえ

一、被告人北条力において、書記局事務員を介して、同日午後五時頃、加入者名義和教組電話番号三局一〇八一番より和歌山電報局に対する打電依頼により、同電報局より日教組執行委員長小林武、和教組執行委員長岩尾覚連名をもつて、六月五日全員有給休暇をとり、郡市単位の勤評反対に関する措置要求大会に参加すべき旨の一斉一〇割休暇闘争指令を県下の市町村立小、中学校五三四校の教職員たる職場委員宛に打電し、これらの者を含む傘下組合員である右学校の教職員約六、五〇〇名に対し右指令を伝達し、

二、(要旨)同組合支部書記長である被告人平尾、同坂本、同田辺、相被告人浜本において、同日、御坊市所在の御坊小学校外三カ所において、市町村立小、中学校教職員である職場代表者亀井真雄外多数の者に対し、前記指令の趣旨を伝達するとともに、右参会者らを介して四支部の傘下組合員約三、二〇〇名に対して同趣旨を伝達し、

もつて、地方公務員たる市町村立小、中学校教職員に対し、同盟罷業を遂行すべきことをあおつたものである。

乙、証拠関係(省略)

丙、弁護人らの主張に対する判断

第一、勤評は教育に対する不当な支配であるとの主張について、

被告人および弁護人は、教職員に対する勤評の実施は、反動文教政策の一環で、政治の教育への介入であり、権力の教育支配である、また、勤評は、教師の自主性を侵害し、民主教育を破壊するものであり、教育に対する不当な支配である旨主張するので、勤評の実施が、果して、教育基本法第一〇条第一項にいう、教育への「不当な支配」に当たるものであるか、どうかについて検討するに、

一、教育の本質

およそ教育は、人類の精神的文化的遺産を一つの世代より次の世代に承継せしめることであり、教育者が被教育者を道徳的に指導し、そのもつている知識や技能を教授し、もつて被教育者を形成するものである。また、教育は、被教育者の真の人間性を開発し、人をしてまことの人たらしめるものである。したがつて、教育は、正しい教育理念の下に、畏敬の念と慈愛の精神をもつて行なわるべき尊い務めである。

ところで、教育は、先ず、家庭教育に始まる。子供に対する本源的教育権者はその両親であり、民法第八二〇条は、このことを規定しているが、このことは法律の規定をまつまでもなく、法以前の自然法上の原理である。しかし、教育をなす権利は両親のみが有するものではない。国家もまた共同の福祉の実現者として、次代をになう子供達に対し、教育権を有することは、憲法第二六条第二項の反面解釈上疑を容れないところである。そして、国家の有する教育権は一面両親の教育権を承継するものであるから、国家の教育権の内容も自然法に反するものでありえないことは条理上当然のことである。教育基本法第一条が教育の目的について、教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家および社会の形成者として、真理と正義を愛する等の国民の育成を期して行なうべき旨規定するのも、右自然法の原理を実定法上に宣明したものにほかならないものと考える。

しかしながら、教育基本法第一条にいう「人格の完成」という人格とは何か、人格の本体たる人間とは如何なるものか、単なる肉体的、物質的存在か、あるいは霊的なものか、また「真理」とは何か、真理を絶対不変のものと認めるか、あるいは社会の推移に応じて変わるものと見るかについては、法自体何らこれを明らかにせず、すべて法解釈にゆだねられており、これらの概念は、各人の世界観の如何により雲泥の相違を来たすおそれのある問題である。しかし、このことは、教育の根本に関する事柄であり、結局は哲学や宗教上の原理、教育者の正しい世界観や良識によつて決定さるべき極めて重要な課題である。このような観点に立つて、わが憲法下の教育理念を推考するに、憲法は、民主主義、平和主義、人間の尊厳を政治理念としており、この憲法下の教育理念も、右憲法の政治理念や世界観と背反するものでありえないことは当然である。されば、我が国憲法下の教育についての根本原理は、民主主義に反する唯物史観的共産主義やフアシズムの如き全体主義の教育を排斥しているものと断ぜざるをえないのである。

二、義務教育における偏向教育の禁止

義務教育は、幼い子供達に、その子供達の一生の幸福と国家社会の進歩発展のため、強制的に普通教育を行なうものであつて、その本質においては、両親の委託を受け、両親の有する自然法的教育権の延長ならびに補充として教育をするのである。したがつて、義務教育は、絶対中正なものでなければならない。憲法や教育基本法の教育理念に背反したり、両親の自然法的教育権を侵害する内容のものであつてはならないことは、当然の事理である。このことは、前記教育の本質に照らし、明白なところであるが、更に、教育基本法において法律に定める学校は特定の政党を支持し、または、これに反対するための政治教育その他政治活動をしてはならない旨規定し(同法第八条第二項)、また、義務教育諸学校における教育の政治的中立の確保に関する臨時措置法において、義務教育諸学校の教育につき、特定の政党を支持させる等の教唆、せん動行為を処罰する規定を設けていること等教育のいわゆる政治的中立に関する各規定および教員の身分に関する教育基本法の、法律に定める学校の教員は、全体の奉仕者なる旨の規定(同法第六条第二項)ならびに教育公務員特例法等において、公立学校の教職員につき政治的行為の制限をしていること(同法第二一条の三、国家公務員法第一〇二条、昭和二四年九月一九日人事院規則第一四―七)等の諸法規よりも十分窺知することができる。

しかし、ここで一言すべきことは、前記教育基本法第八条第二項の政治的中立性に関する規定は、特定の政党を支持し、またはこれに反対するための政治教育その他政治的活動を禁止したものであつて、教育理念の中立を規定したものではない。国家が教育を通じて民主主義の本質、使命等を明らかにしたり、民主教育維持のための方針をとることは、教育の中正を侵すものではなく、かえつて、国民の教育上必要なばかりでなく、民主政治機構の破壊を意図する反民主主義的勢力に対する自己防衛上当然なしえ、またなさなければならないことである。

これは特定の政党を支持し、またこれに反対するための政治教育その他政治的活動に含まれるものではない。したがつて、右の国の教育方針に従つた学校教育が、ある政党のとつている教育方針と一致することがあつても、その故をもつて、これを不当視すべきものでないことはいうまでもないところである。

これを要するに、我が国義務教育諸学校すなわち小学校、中学校等において、教職員が、党派的偏見をもつてその教育をしたり、憲法や教育基本法の排斥しているイデオロギーをもつて、教育的活動をすること、すなわち偏向教育をすることは、絶対許されないものといわねばならない。

三、我が国教育の実状と勤評制度実施の意義

昭和三三年勤評制度実施に至るまでの我が国の教育は、占領中の教育制度および教育内容を批判して、戦後の教育は、道徳教育を軽視し、教育本来の目的に明確性を欠き、我が国の実情にそわぬものありとして、その改善を企図する政府文教当局の教育政策に対し、日教組がこれを反動文教政策として全面的に反対し、対立抗争を続けている状態にあつたこと、また日教組の倫理綱領やその出版物において、日本の社会革命を企図するが如き言説をもつて、その組合員たる教師を指導していたこと、更に現に、昭和二八年頃学校の現場において偏向教育の行なわれたことなどの各事実は判示冒頭において、認定したとおりであるが、以上の如き状況より推考すれば、我が国の小学校、中学校等において、日教組の影響の下に、なお教育の政治的中立が侵され、偏向教育が行なわれるおそれが絶対ないと保証し難いものがあつたといわねばならない。

ところで、すべて物事には人、時、処三相応ということがある。如何に制度が整つていても、制度を適用するのは結局人である。もし人にして、その人を得なければ、制度の目的を達せられないばかりでなく、かえつて禍を招くことがある。特に教育は数育者その人の適否に関することが甚大である。教育は国家の将来を決する重大事である。更に義務数育は幼い子供達の将来の運命をも支配する。しかも、やり直しの効かぬ重大な問題である。

教職員に対する勤評は、本質的には多数にのぼる教職員の適正な配置、執務能率の向上という人事管理の適正を確保せんがためのものであることはいうまでもないが、以上、我が国の混沌たる教育の実状下において、義務教育諸学校における偏向教育を防止し、教育本来の使命たる中正な教育を保持せんとする重大な目的のため、敢えて採られた措置と認めざるをえないのである。

もつとも、勤評はそれを実施することにより、学校の職場が暗くなる、教師の自主制が制限され、自由な教育ができない、教員の精神的負担が加重する等一般教職員の危惧することも、運用の如何によつては、否定しがたい面もあるが、しかし、前記人事管理の適正ないし義務教育の中正確保という大乗の目的達成のために真に差むをえないものがあるといわねばならない。

更にまた勤評は、地公法第四〇条第一項、地方教育行政組織法第四六条等の法律の規定により実施されたものであるから、法治国として、これを違法とするいわれはない。

以上、勤評制度の実施は、教育基本法第一〇条第一項にいう不当な支配に当たらないものと認められるので、被告人や弁護人の主張は失当である。

第二、本件一斉休暇は地公法第三七条第一項前段にいわゆる「同盟罷業」に該当しない旨の主張について

一、被告人ならびに弁護人らは、被告人らがあおつたとされる本件一斉休暇は、労働基準法第三九条の規定による有給休暇請求権の行使として行なわれたものであつて、これにより業務の正常な運営が阻害されたとしても、それは有給休暇を適法に取得したことによる当然の結果であつて、地公法第三七条第一項前段にいわゆる「同盟罷業」に該当せす、したがつて、被告人らの本件行為は同法第六一条第四号にいわゆる「あおり」に当たらない旨主張する。そこで、先す、本件一斉休暇がいわゆる「同盟罷業」の概念に該当するかどうかについて検討したうえ、これと有給休暇請求権の行使との関係について判断することとする。

(一) 本件一斉休暇がいわゆる「同盟罷業」の概念に該当するかについて

地公法第三七条第一項前段には、争議行為として「同盟罷業、怠業その他の争議行為」が規定されているが、争議行為の概念については、労働関係調整法第七条の規定によれば、「争議行為とは同盟罷業、怠業、作業所閉鎖その他労働関係の当事者が、その主張を貫徹することを目的として行なう行為およびこれに対抗する行為であつて、業務の正常な運営を阻害するものをいう。」とされている。しかし、争議行為に関するこのような定義は、労働関係調整法に基づく調整になじむ争議行為の定義であつて、一般的に、争議行為をこのように限定的に解する必要はない。例えば、労働運動の指導者の暗殺などのテロに対する抗議スト、法律の制定などを要求する政治ストのように、組織労働者の団結意思の示威を通じて政府や国会に働きかけることを目的として行なわれる争議行為もある。したがつて、右地公法第三七条第一項前段にいう争議行為とは、その行為の態様を問わず、職員の団体により行なう、地方公共団体の「業務の正常な運営を阻害するものをいうもの」と解すべきであり、その行為の目的が職員の適正な勤務条件を確保するための、職員の団体の主張を貫徹するにあると何であるとを問わず、また、その行為の直接の具体的の相手方が地方公共団体の機関が代表する使用者としての住民であると何人であるとを問わない。本件一斉休暇闘争の目的が県教委の勤評規則の制定に反対し、県教委に対し同規則の廃止を要求することにあることは、さきに事実関係において判示したとおりであるが、この行動の直接の相手方が教職員の使用者としての市町村教育委員会の代表する当該市町地の住民であろうと、県教委の代表する和歌山県の住民であろうと、本件一斉休暇が和歌山県下の公立小、中学校の業務の正常な運営を阻害するものであれば、地公法第三七条第一項の争議行為に該当するものと判断して差支えないものというべきである。そこで、本件一斉休暇が業務の正常な運営を阻害するものであるかどうかについて検討するに、業務の正常な運営を阻害するとは、学校の業務が社会的な機能として正常に運営されない場合、または、たとえその業務がどのように能率的に運営されているとしても、その学校内部において職制による命令服従の関係によつて業務が運営されていない場合を意味するものと解する。公立小、中学校は心身の発達に応じて初等、中等普通教育を施すことを目的とし、教育目標の達成は、具体的には、学習指導要領の基準によるとされている教育課程に構成展開されて行くのであつて、小学校の学習指導要領によれば、教育課程は、年間計画、月次計画、週間計画として編成されるが、季節およびその他の事情を考慮し、調和的、能率的な指導を行ないうるようにすることが要請され、次に指導計画の作成および指導の方針としては、各教科、特別教育活動および学校行事等について相互の関連を図り、全体として調和のとれた指導計画を作成するとともに、発展的、系統的な指導を行なうことができるようにすること、地域や学校の実態を考慮し、児童の経験に即応して具体的な指導の目標を明確にし、実際に指導する事項を選定し、配列して効果的な指導を行なうこと、指導を能率的、効果的にするためには、児童の発達段階や経験をよく理解し、学習の目標を児童に十分把握させ児童の持味や関心を重んじ、自発的な学習をするように導くことが要請されているが、中学校についてもこのことは同様である。そして、公立小、中学校において、平日には教職員により、右のような要領により児童、生徒に対する教育活動が行なわれるのが常態であるのに、これに反して、授業の予定されている常日を、差し迫つて、一斉休暇の日と定め、当日校長を除く全教職員が職場を離脱し、児童、生徒に対する教育活動を平常どおり行なうことを不可能にし、ないしは極めて困難な状態に陥らせることは、結局、調和的、能率的な指導を行ないうるよう諸事情を考慮して作成した週間計画を破壊する異常な事態であるというべきであるから、その結果、年間教育計画に影響をおよぼしたかどうかを問うまでもなく、公立小、中学校の業務の正常な運営を阻害するものと云いうる。本件についてみるに、前顕各証拠によると、本件闘争指令に接した組合員たる教職員は、六月四日、所属小、中学校の校長に年次有給休暇届を提出して、翌五日各支部単位で開かれた措置要求大会に参加したが、校長の承認なくして職場離脱のうえ大会に参加した学校数は、小学校一四三校、中学校六三校の計二〇六校で、教職員総数は二、二四五名にのぼり、この外、差し迫つた六月四日に至つてやむなくとられた地教委の臨時休校、農繁期休校、振替休校措置などのため校長の承認または黙認をえて大会に参加した学校数は小学校一一五校、中学校六〇校、計一七五校で教職員総数は、二、七七六名にのぼり、当時の小学校は三六二校、教職員四、四七六名中学校は一七二校、教職員二、二六二名であるから、県下の大半の教職員が本件一斉休暇闘争指令に従つて措置要求大会に参加したこと、そのために多数の小、中学校においては、正常な授業計画の遂行ができす、教育行政の円満な遂行が著しく阻害されたことが認められるのである。そうしてみると本件一斉休暇闘争は地公法第三七条第一項前段に規定する同盟罷業に該当するものと解せられるわけである。

(二) 本件一斉休暇は形成権である年次有給休暇請求権の行使であるから、同盟罷業に該当しない旨の主張について

思うに、一般に個々の教職員が労働基準法第三九条による有給休暇をとつて、それをどのように利用するかは自由であろう。しかし、有給休暇請求権が所論の如く形成権であるかどうかはともかくとして、それが個々的にではなく、一斉に、すなわち、組合の統制のもとに組織的、集団的に業務の正常の運営を阻害することを目的として利用されるならば、それは形式の如何にかかわらず、まさに地公法第三七条第一項前段の同盟罷業としての評価を受けなければならない。

本件一斉休暇がこれに該当するものであることは明白である。しかのみならす、和歌山県下公立小、中学校教職員の年次有給休暇については、本件一斉休暇以前から規則上も、実際上の取扱も当該学校長の承認を要することになつていたのである。すなわち、県下公立小、中学校教職員の年次有給休暇の手続等勤務条件に関する規定は、地方教育行政組織法第四二条により和歌山県が条例により定めるべき事項であるが、昭和二八年和歌山県条例第五三号「市町村立学校職員の給与等に関する条例」第三二条第二項は「年次休暇は職員から請求があつた場合に与えるものとする。但し、公務に支障があるときは、他の時期に繰り替えて与えることができる。」と規定し、昭和二九年教育委員会規則第五号「市町村立学校職員の給与等に関する規則」第一七条第一項は「職員は、年次休暇を受けようとするときは、あらかじめ、その期間を記載した書類を当該学校を所管する教育委員会またはその委任を受けた者(以下これらを「所属長」という。)に提出してその承認をえなければならない。」と規定し、和歌山県公立小、中学校管理規則準則(昭和三二年五月一日総第二一〇号)第一五条は、「職員の休暇は校長が承認する。ただし、七日(校長にあつては三日)以上にわたる場合および特別の事情があると認められる場合には、あらかじめ教育委員会の指示を受けもすのとする。」と規定し、和歌山県下各地教委の定める各市町村立小、中学校管理規則は、右準則に則り、職員の休暇について同旨の規定をおいているので、結局、休暇承認権は地教委から校長に委任されているのであつて、県下公立小、中学校の教職員は、校長を除き、いすれも年次有給休暇につき当該所属校校長の承認を要することとなつており実際上の取扱においても、これらの法令に従つて年次休暇は校長の承認によつてなされていたのである。ところが、和教組執行部を構成する被告人らは、本件闘争の合法性をよそおわんがため、ことさらに、右規則および実際上の取扱いを一方的に無視する態度に出、本件一斉休暇闘争の行動規制たる「全員参加による措置要求大会を組織するに当つて」(証第六三号)においては、有給休暇請求権の形成権である趣旨を強調し、有給休暇の名のもとに本件一斉休暇におよんだものであり、有給休暇の取得それ自体は目的でなく、組合の指令に基づき業務の正常な運営を阻害するものであるから、前記法条の同盟罷業たることまことに明らかである。

(三) 措置要求権の行使と同盟罷業との関係(省略)

第三、本件休暇闘争指令の伝達は地公法第六一条第四号の同盟罷業の遂行を「あおる」行為に該当しない旨の主張について

一、弁護人らは、本件休暇闘争指令の伝達は機関の決定を組合員に通知したものにすぎす、地公法第六一条第四号にいわゆるあおり行為ではないと主張する。

そこで、まず「あおり」行為の概念について検討するときに、地公法第六一条第四号に規定する「あおり」とは煽動と同義語であつて、地方公務員たる職員に対して地公法第三七条第一項に規定する争議行為を実行させる目的をもつて、文書もしくは図画または言動により、その行為を実行する決意を生ぜしめ、または既に生じている決意を助長させるような勢のある刺激を与えることをいうものと解するを相当とする(昭和三七年二月二一日最高裁判所大法廷判決参照)。そして、その手段方法の如何ならびに相手方の不特定または多数は問うところでなく、また煽動罪は相手方に対してあおり行為を行なつた時、直ちに成立し、相手方があおり行為の結果、現実に決意を新たに起したか否か、または既に有する決意を助長させられたか否かを問わす、また争議行為が行なわれることも必要としない。したがつて、それが争議行為を実行する決意を新たに起させるようなまたは既に持つている実行の決意を更に助長させるような勢のある刺激と言いうるためには、その文書、図書、または言動による行為自体が客観的に見て、地方公務員の争議行為の実行に対して現実に影響をおよぼす危険性のあるもの、換言すれば、その刺激が争議行為の実行の原動力となり、または、それを誘発する危険性があるものであることを要し、また、それをもつて足るものといわなければならない。そして、地公法第三七条第一項前段に規定する地方公務員の争議行為の禁止は、後述する如く、その合憲性が是認されるものなるところ、地方公務員は、右規定によつて争議行為を禁止され、争議権自体を否定されている以上、労働組合法第一条第二項規定の争議行為の正当性の限界のようなことは、はじめから問題となる余地がなく、争議行為の認められている一般私企業の場合と異なり、煽動の手段方法の如何は問うところでなく、争議行為について説得、指導、激励、督励、指令指示の発出およびその伝達等、いわゆる争議行為に通常随伴する方法によるものであるか否かによつて煽動罪の成否が左右されることはありえないものといわねばならない。本件についてみるに、既に事実関係において判示した如く、和教組においては、勤務評定反対闘争において採用すべき戦術について、昭和三二年一〇月中旬頃組合員からアンケートをとつたところ、アンケート提出者約四、〇〇〇名中「強力な戦術をとることにつき執行部に一任すること」に賛成するものは一、〇六九名にすぎず、昭和三三年一月の第一四回臨時大会において、休暇戦術を含む統一行動の基本的方針を決定しているが、右戦術は、和教組において、十分な下部討議を尽していない日教第一六回臨時大会案における戦術をそのままとり入れたもので、組合員の方向とは必ずしも一致しておらず、このことは、昭和三三年二月の和教組第一五回定期大会において、一斉休暇戦術を含む統一行動の運動方針案は、修正案、質疑などが出て時間切れとなつていることに具現されている。ところで、被告人らが新執行部を構成するに至るや、四月七日付指示第一号をもつて日教統一行動の行動規制を上廻る振替授業戦術を提案して、拡大闘争委員会において反対をうけ、地教委交渉戦術に転換せざるをえなくなつたところ、同月二六日付和教時報号外をもつて、執行部案たる第一波ないし第五波闘争の戦術を下部討議に付したが、この第五波闘争は一斉休暇戦術で本件闘争の基本となつたものである。かくて、五月七日の拡大闘争委員会において、右一斉休暇戦術を徹夜討議の末決定しているが、その後においても各支部においてはこの戦術の採用については逡巡しているのであつて、このことは未だ和教組執行部の意思と組合員の方向にかなりの懸隔があつたにかかわらず、和教組執行部の強力な説得指導により同日の拡大闘争委員会において可決させるに至つた事実を推認できるのである。その後、五月一二日、和教組執行部は拡大闘争委員会において、県教委が五月二一日に勤評規則を制定すると情勢分析したうえ、同月二〇日に一斉休暇闘争を実施すべき旨の指令案、同月一八日に同闘争に対する無記名投票を行なうべき旨の指示案をそれぞれ提出して、右指示を発することを決定するとともに、右指令は準備指令とすることを決定し、更に同闘争の行動規制をも決定し、大会における参加点検を行なうことなどを規制し、五月一八日に一斉休暇闘争に対する賛否投票を行なつたが、職場の動向がわかるような方法などをとり、同夜行なわれた拡大闘争委員会においては、一斉休暇闘争に突入しうる体制を整えるため、オルグ活動によつて意思統一をはかることを決定し、その後、各支部において意思統一につとめ、次いで、同月二九日の拡大闘争委員会において、執行部は近く一斉休暇闘争を実施する旨の執行部案を提案し、反対意見がかなり出ているにかかわらす、徹夜論議の末、これを可決しているのであつて、執行部が県委員の説得にこれつとめたことが推認されるのである。かくして、和教組執行部は六月三日午前一一時頃、県教委が勤評規則を制定したことを聞くや、これを好機としてとらえて、前判示の経過により、一斉休暇闘争指令を発して、各職場に伝達されたのである。以上の経過からすると、和教組執行部は一斉休暇闘争を目標に第一波ないし第五波闘争の闘争方針案を企画し、機関決定の形をとり、組合員の意思統一と称して、徐々に一斉休暇闘争へのムードを作り上げ、時期をとらえて本件指令を発出し、組合員に伝達したものであるといえるのである。そして、本件指令発出時における組合員の動向についてみると、前掲各証拠によれば、本件指令に接した当時においてすら、組合員は一日授業をしないことに対する罪悪感と組織が決定したからやるという悲壮感の中に立つて、必ずしも、執行部の意思と一致していなかつたため、各支部あるいは各職場においては、とるべき方向について長時間論議をかわした後、はじめて突入するか否かの方向を決定するところがかなりあり、指令が出ている以上、組合員として従わざるをえないとして自信なく本件休暇闘争に参加した組合員も多数あつたものと認められるとともに、また他方には既に参加の意思を有していて右指令を日時の設定にすぎないとした組合員も相当数あつたことも認められるのであるが、いすれにせよ、本件休暇闘争に参加した組合員は、すべて本件指令に接して、はじめて参加したものであることは明白である。思うに、一般に私企業におけるが如く、合法な争議行為があれば、労働組合のスト突入指令については組合員はこれに拘束され、当然これに服従して、ストに参加しなければならないし、また組合員の受取り方もスト参加を労働者の権利行使とする意識があるのであろうが、本件におけるが如く、違法とされる争議行為への突入指令に対する教職員たる組合員の受取り方は悲壮なものがあり、逡巡して動揺するのは無理からぬことであり、これを押して争議に参加するのは、そこに本来無効ではあるが、事実上拘束力があるかの如く感じさせる組合指令の強い影響力があつたればこそである。本件指令電文は「五日、全員は有給休暇をとり郡市単位の措置要求に参加せよ。」という内容のものであり、被告人平尾利彦ら四名の指令伝達行為の内容もほぼこれと同様のものであつて、その表現自体を形式的に見れば、あるいは勢のある刺激と認められないものであるかもしれないが、さきに判示した如く、本件指令は一斉休暇闘争計画の具体的方法を指示したもので、その実体において争議行為としての一斉休暇闘争指令であることは組合員も熟知していたもので、しかも、その指令するところは、法によつて禁止されている争議行為の実行を命じるものであるから、本件指令の文書は実質的には勢のある刺激的文言と認められる。すなわち、本件指令はその形式的表現からみれば刺激的なものではないけれども、和教組執行部により系統的に訓練され準備されて、勤評規則制定の暁には、休暇闘争に突入しなければならないようなムードの中におかれていた組合員に対して発せられ、本来法的拘束力を及ぼすものでないのに拘らず、現実には組合の指令として強い拘束性をもち、この指令を電文または言動によつて伝達する行為は、これによつてはじめて争議行為が実行に移される段階に入るのであり、ある教職員に対しては争議行為実行の決意を生ぜしめ、ある教職員に対しては既に生じている決意を助長させるような勢のある刺激を与える行為であり、客観的に見ても、地方公務員たる教職員の争議行為の実行に対して現実に影響を及ぼす危険が十分にあり、同盟罷業の遂行をあおる行為に該当するものといわねばならない。そして、そのあおり行為の対象者は、指令伝達の対象とされる和歌山県下公立小、中学校の教職員全員約六、五〇〇名であつて、本件指令伝達後、六月四日に至つて、一部地教委によつて六月五日を臨時休校、農繁期休校、振替休校とする措置がとられたことや、六月五日当時本件一斉休暇闘争に参加しない組合員があつたことなどは、右全員に対する同盟罷業遂行のあおり行為の成立に影響するものでないことは前述のところからしていうまでもないところである。もともと、争議行為を計画し、組合員の意思統一をはかり、これを実行に移すのは執行部である。たとえ機関が闘争指令案を決定していたとしても、これを何時如何なるときに実施するか、しないかは、最もよく情勢を把握しうる執行部がきめることである。争議指令は争議行為の原動力であり、争議行為の開始を命するラツパである。これを単に機関の決定事項を事務的に組合員に伝達する伝達行為にすぎないとする見解は、本件和教組の組合活動における執行部の地位を過小評価するものであり、失当たるを免れない。(中略)

二、次に、弁護人は、指令に拘束力がある限り、その伝達行為は「あおり」の要件である刺激を与えるとはいえないから「あおり」に該当しない旨主張する。

なるほど、公務員法上の教職員組合の規約、その他適法な決議等の組合の意見は、当該組合員を拘束し、その組合員はいずれもこれに服従すべき義務を有する。したがつて、組合員がこの団体意思に服従しないときは、義務違反(いわゆる統制違反)として、除名、その他の制裁を加え、示唆ないし予告してその義務の履行を強制することは、教職員組合という団体の統制を保持し、もつて、その存立をはかるため、まさになすべき当然の行為である。しかし、地方公務員たる教職員の組合大会で、法によつて禁止されている争議行為を決議しても、争議行為を内容とする決議は無効であり、この決議に基づくスト指令もまた組合員に対して拘束力をもたないものと解すべきである。本件において、前判示の如く、和教組拡大闘争委員会が六月五日に有給休暇をとり、措置要求大会への参加、すなわち、一斉休暇指令案を決定したものであり、その内容は地方公務員法に違反した争議行為を命ずるものであるから、右決定は無効であり、したがつて、指令もまた組合員に対して拘束力をもたないものというべきである。もつとも、違法な組合指令といえども、その指令なるが故をもつて、事実上強い拘束力があるかの如く感じさせるものがあるけれども、法的には拘束力がなく、組合員はこれに従う必要がないことは勿論である。よつて前記主張は採用しがたい。

三、次に、弁護人は本件指令の伝達行為は争議行為参加の一態様にすぎないもので、争議行為そのものと評価すべきであり、争議行為とこれに対するあおりという関係にあるものではないと主張する。

ところで、地公法第三七条第一項前段の争議行為は、職務放棄その他これに準ずる行為を意味するものと解するを相当とするから、争議行為をこういう意味で用いると、弁護人の主張するところは、「指令の伝達は争議行為に接着ないし随伴した行為で、争議行為そのものと評価すべきであり云々」ということになる。しかしながら、違法争議行為の指令は、違法争議行為の原動力となり、またはこれを誘発する行為として評価するのが相当であつて、違法争議行為そのものとは事実上も、法律上の評価においても一線を劃すべき行為であることは明らかである。すなわち、この点は単なる争議行為との因果関係という観点からの歴史的評価とか、あるいは、単なる組合活動の実態という社会現象としての観点からの結合的評価ではなくして、現行法体系上いわゆる可罰的行為の個別的評価の可能の問題、換言すれば法律的評価の問題として考察されなければならないのである。しかも、ある事実行為の一系列が社会現象として全く結合しており、これを分割して価値判断することが無意味となるようなものであれば格別、いわめる争議行為なるものとその企画立案行為、争議行為の討議、決定についての関与行為、争議行為の指令、指示行為、さらに争議行為の説得、激励行為は社会通念上明らかに区別しうるものであり、又区別すべきものである。

そして、右指令の伝達は争議行為そのものと評価すべしとの見解の理論的根拠をそん度するに、要するに、争議行為の実行を担当した者に対しては、およそ刑事罰をもつて臨むことが許されず、これは、本来的に、換言すれば、憲法的要請から不可罰なるものであるが故に、当然に、そのいわゆる憲法上の保障は争議行為そのもののみならず、これに近接し通常随伴する行為にも及ぶものとするようである。しかし、この見解は、後述する如く、およそ公務員の争議行為に対して刑事罰をもつて臨むことは、ただちに、憲法第二八条、あるいは第一八条に違反するものではなく、また、このことは最高裁判所大法廷判決(昭和二八年四月八日判決)の明示するところからも自明のことといわなければならないから、その根拠の合理性は認められないところである。要するに、争議行為の実行行為それ自体に対して公務員法上刑事罰をもつて臨まないこととしていることの一事をもつて、それがわが憲法上、本来的に不可罰であるとなすことはできないのみならず、さらに進んで争議行為に随伴する行為についてまで、これを憲法上不可罰としたり、公務員法上刑事罰の範囲から除外すべき合理的、必然的理由は到底認めえないところである。後に丙第六において説示する如く争議行為それ自体について、刑事罰をもつて臨まないこととしたこと、および争議行為の実行という違法事態の発生の根源をなし、その前提をなすところの争議行為についての遂行についての共謀そそのかし、あおり行為を刑事罰の対象としたことについては、立法政策上の十分な合理性、適性を認めうるところであり、争議実行行為と、その前段階の行為との間に一線を画すべき相当の理由があるものというべきである。これらの前段階の行為を当然刑事罰から解放されるべきであるとする主張は、全くいわれのないものといわなければならない。

第四、地公法第三七条第一項、第六一条第四号は憲法第二八条に違反する旨の主張について(省略)

二、地公法第六一条第四号が憲法第二八条に違反する旨の主張について(省略)

第五、地公法第六一条第四号は憲法第一八条に違反する旨の主張について(省略)

第六、地公法第六一条第四号は憲法第三一条に違反する旨の主張について(省略)

第七、本件一斉休暇は正当行為である旨の主張について(省略)

丁、弁護人の公訴棄却申立に対する判断(省略)

戍、法令の適用および情状(省略)

己、被告人惣坊恵に対する無罪の判断(省略)

よつて、主文のとおり判決する。

昭和三八年一〇月二五日

和歌山地方裁判所刑事部

裁判長裁判官 中 田 勝 三

裁判官 尾 鼻 輝 次

裁判官 逢 坂 芳 雄

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